お気に入り登録した商品は、こちらのプルダウンから確認することができます
飯野農夫也 仏画 木版画 額装 小品です。可愛く、素朴な仏をモチーフにした版画です。〈サイズ〉額 52.5cm-41cm-2cm箱55.5cm-44cm-2.8cmマット内枠 縦22.5cm-横8.5cm程度〈作者説明〉飯野農夫也 いいの-のぶや1913-2006 昭和-平成時代の農民版画家として有名な版画家。茨城県筑西市出身で、筑波山を背景に“農村の原風景”を素朴に描きあげた作品は観る者の心にやすらぎと郷愁を呼びおこします。1913年(大正2年)に真壁郡五所村(現 筑西市)に生まれ、真岡中学校在学中に天才洋画家 青木繁の影響を受け画家を志し、油彩画を始めました。その後1931年(昭和6年)18歳で上京しプロレタリア美術研究所に入り勉強しました。1935年(昭和10年)郷里に戻り、油絵や詩作の勉強を続けましたが、1937年(昭和12年)戦争の影響で油絵具が手に入りにくくなり、栃木県出身の彫刻・版画家 鈴木賢二にすすめられ版画を始めました。1940年(昭和15年)造型版画展で「麦刈り」「糸とり」が初入選し、翌年には同展の会友となりました。その後も創作活動を続け、多くの展覧会等に出品されてきましたが、1965年(昭和40年)52歳のとき、東京銀座「現代画廊」で個展を開き、作家として広く日本美術界に認められました。画伯は自らを「版画の百姓」「野良の美術家」と名乗り、富や名誉にこだわらず、木版画と詩作に生きてきました。作品の多くは、想いの強い筑波山を背景に農作業に励む婦人像、ときには樹木や野仏・石仏です。画伯は、同郷の大先輩である板谷波山にも注目されていましたが、隣町 明野町出身の元農林大臣赤城宗徳氏が画伯の作品を大変気にいられ、著書のなかで「すこし腰がまがりかけたであろう老夫婦が麦を踏んでいる図、それは、ミレーの晩鐘にも匹敵するような名画だ、と少なくともわたしは感じた」と述べています。独自の版画技術表現を確立し、各地で個展の開催や美術展への出展を重ね、1977年(昭和52年)には、NHK日曜美術館「私とミレー」に出講しています。2006年(平成18年)1月、92歳でお亡くなりになりました。目立った傷や汚れはございませんが、画像にてご判断頂きご検討ください。K5321/1430
同一ショップで3980円以上購入時、送料無料
※同時に(一度に)購入した場合のみ適用となります
【 明日12:00 】 までのご注文で翌日お届けに対応。 定休日のご注文は翌営業日の発送となります。(定休日:日曜日, 土曜日, 祝日)
【重要】 交通事情や悪天候などの不可抗力が生じた場合は、商品到着の日時が変更となる場合が御座います。 また年末年始やクリスマスなどの繁忙期は輸送量の増加により【翌日お届け】対応が困難となる場合が御座います。 ※ご希望のご選択がない場合は、値札は外さず発送となります。
レビューはありません。
残り 1 点 6,470円
(6 ポイント還元!)
翌日お届け可(営業日のみ) ※一部地域を除く
お届け日: 03月21日〜指定可 お届け日: (明日12:00のご注文まで)
ページ上部の「お気に入り商品一覧」からご確認頂けます。
30個以上かつ10万円以上のご購入はこちらからお問い合わせください
10,730円
7,480円
12,900円
13,950円
49,040円
58,290円
ANA フライングホヌ FLYING HONU リアルサウンドジェット
7,140円
在銘「江府住正吉」鍛鉄透かし鍔 月に雁繋ぎの図 磨き地 音色抜群
7,650円
MG 1/100 ガンダムベース限定 ユニコーンガンダム ペルフェクティビリティ
11,400円
boss tu-3w
12,620円
HG1/144 G-セルフ(大気圏用パック装備型) ブルークリアVer. 当選品
11,100円
古美術 櫛2種類
13,330円
三代目烈津號 トラック プラモデル デコトラ フジミ模型 未組立
11,550円
1/60 ゴッドガンダム (機動武闘伝Gガンダム)
10,800円
MGドム、グフ、ザクMG
10,500円
ZVEX MASTOTRON
13,490円
6,470円
カートに入れる
飯野農夫也 仏画 木版画 額装 小品です。
可愛く、素朴な仏をモチーフにした版画です。
〈サイズ〉
額 52.5cm-41cm-2cm
箱55.5cm-44cm-2.8cm
マット内枠 縦22.5cm-横8.5cm程度
〈作者説明〉
飯野農夫也 いいの-のぶや
1913-2006 昭和-平成時代の農民版画家として有名な版画家。
茨城県筑西市出身で、筑波山を背景に“農村の原風景”を素朴に描きあげた作品は観る者の心にやすらぎと郷愁を呼びおこします。
1913年(大正2年)に真壁郡五所村(現 筑西市)に生まれ、真岡中学校在学中に天才洋画家 青木繁の影響を受け画家を志し、油彩画を始めました。その後1931年(昭和6年)18歳で上京しプロレタリア美術研究所に入り勉強しました。
1935年(昭和10年)郷里に戻り、油絵や詩作の勉強を続けましたが、1937年(昭和12年)戦争の影響で油絵具が手に入りにくくなり、栃木県出身の彫刻・版画家 鈴木賢二にすすめられ版画を始めました。
1940年(昭和15年)造型版画展で「麦刈り」「糸とり」が初入選し、翌年には同展の会友となりました。その後も創作活動を続け、多くの展覧会等に出品されてきましたが、1965年(昭和40年)52歳のとき、東京銀座「現代画廊」で個展を開き、作家として広く日本美術界に認められました。
画伯は自らを「版画の百姓」「野良の美術家」と名乗り、富や名誉にこだわらず、木版画と詩作に生きてきました。作品の多くは、想いの強い筑波山を背景に農作業に励む婦人像、ときには樹木や野仏・石仏です。
画伯は、同郷の大先輩である板谷波山にも注目されていましたが、隣町 明野町出身の元農林大臣赤城宗徳氏が画伯の作品を大変気にいられ、著書のなかで「すこし腰がまがりかけたであろう老夫婦が麦を踏んでいる図、それは、ミレーの晩鐘にも匹敵するような名画だ、と少なくともわたしは感じた」と述べています。
独自の版画技術表現を確立し、各地で個展の開催や美術展への出展を重ね、1977年(昭和52年)には、NHK日曜美術館「私とミレー」に出講しています。
2006年(平成18年)1月、92歳でお亡くなりになりました。
目立った傷や汚れはございませんが、画像にてご判断頂きご検討ください。
K5321/1430